「理想のプレイジムを作るプロジェクト」から5年後、忘れかけていた思いに、再び火がつくような出会いがありました。それは、宮地さんとの出会いです。
彼は、大手玩具メーカーから独立して、中国を拠点にして、日本に玩具を提供している方で、ディズニーランドやユニバーサルスタジオで売られている玩具の生産を行っていました。
宮地さんも、私と同じような思いを玩具に抱く熱き魂の持ち主で、彼のお兄さんを介して知り合ったのですが、すぐに意気投合しました。彼とは、様々な夢を語りました。そのようにして語った夢のひとつが「理想のプレイジムを作るプロジェクト」でした。
宮地さんは「やりましょうよ!作ってみましょう。生産は、私がアレンジしますよ!」
嘘のような一言を聞いたのが2009年のことです。そこから、「理想のプレイジムを作るプロジェクト」は、再スタートしました。それから数ヶ月して、宮地さんから、ロット1000個で作った場合の見積もりが、メールで届きました。
「これなら、何とかいける!商品化できる。最初は、利益なんてなくてもいい。このプレイジムが世に出れば、利益なんて後からついてくる」
私は、そんな思いで、このプロジェクトを前に進める決意をしました。
|